広島地方裁判所 平成2年(ワ)647号 判決 1994年4月18日
主文
一 被告は原告に対し、金三三〇万円及びこれに対する昭和六二年一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
理由
第一 請求
被告は原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 事案の要旨
本件は、原告が、昭和六二年一月五日、被告の経営する呉共済病院において第一子を出産した際、担当医師が、不注意により原告の子宮内に胎盤が遺残していることに気付かず、適切な医療措置をとらなかつたために、原告は、本来不必要であつた子宮全摘出手術を受けたばかりでなく、その際に施された大量の輸血により輸血後肝炎に罹患したことにつき、被告に不法行為ないし診療契約上の債務不履行責任があると主張して、被告に対し、損害賠償請求をしている事案である。
二 基本的な事実関係(争いのない事実及び《証拠略》により認められる事実)
1 原告の入院と出産当日の状況
(一) 原告は、昭和三四年一〇月一四日生の女性である。昭和六一年五月九日以来、被告が経営する呉共済病院(以下「被告病院」という。)において定期的に妊娠に伴う検診を受けてきたが、昭和六二年一月五日未明に破水したのに伴い、同日午前六時ころ、指示に従つて同病院に入院した(入院に伴い原告と被告との間に診療契約が成立した。)。
(二) 原告は、同日午後零時二七分、被告病院の加藤医師介助のもとで、第一子の女児(出生時体重二三三〇グラム)を満期(妊娠満三九週)娩出した。なお、入院時における原告の身長は一六一センチメートル、体重は五三・五キログラムであつた。
そして、右児娩出直後に子宮収縮剤であるメテルギン一アンプルが静注され(一回目)、その後、同日午後零時四二分に胎盤が娩出された。胎盤娩出までの総出血量は四〇〇シーシーであつた。
右胎盤は、後に行われた計測の結果によると、重量が二五〇グラム、暑さが一・七センチメートル、大きさが一五センチメートル×一四センチメートルであつたが、分娩に立ち会つた助産婦、看護婦は、胎盤を見て、「あれ、いやに小さいね。」などと印象を述べ合つていた。
なお、胎盤娩出様式はいわゆるダンカン様式であり、臍帯の付着部位は胎盤の辺縁部であつた。
(三) 加藤医師は、胎盤には欠損を認めなかつたものの、卵膜の欠損が認められたことから、子宮内に卵膜が遺残したと判断し、午後零時五二分に胎盤鉗子を用いて、子宮内清掃術を実施した。しかし、卵膜の完全な除去には至らなかつたことから、なお、かなりの卵膜が遺残しているものと認識した。
その後、メテルギン(二回目)を更に静注し、会陰側切開部を縫合し、分娩は終了したが、子宮内からの出血が認められたので、子宮収縮促進の処置を行うと同時に止血のため冷あん法(アイスノン貼用)を行い、連続ガーゼ三枚を膣内に挿入した。
(四) 原告は、同日午後一時四〇分ころ、気分不良を訴え、血圧も著しく低下した(六〇ミリメートル/エイチジー、原告の平常血圧は一二〇~八〇ミリメートル/エイチジー)。
そこで、直ちに、酸素五リットルを投与するとともに、ラクテック(維持液)にトランサミン(止血剤)、PGF2α(子宮収縮剤)を加えて急速点滴を実施したところ、午後一時五〇分ころまでには血圧は一一〇~七〇ミリメートル/エイチジーとほぼ平常血圧に回復し、心拍数九〇回/分で気分不良も消失した。この間、膣鏡診を行い、膣内ガーゼを抜去したところ、ガーゼに吸収された出血量は一四〇グラムであつた。そこで、引き続き子宮収縮促進と出血予防のため冷あん法を行い、導尿施行した後尿カテーテルを留置した。血液検査の結果、赤血球三七五万個/立方ミリメートル、白血球二万二六〇〇個/立方ミリメートル、血色素量一一・二グラム/デシリットル、ヘマトクリット三三・一パーセントであり、多少貧血気味と判断された。
(五) 同日午後二時四〇分ころ、原告は、顔面蒼白で気分不良を訴え、血圧は八〇ミリメートル/エイチジー以下と再び低下傾向がみられ、心拍数は一〇〇回/分を示した。担当医師はクスコ診を実施し、胎盤鉗子で悪露(血塊)八三〇グラムを排出した。子宮底が臍上二指の位置にあり、子宮収縮が不良であるとして、弛緩出血を疑い、ラクテック(維持液)、ブロッケル(止血剤)とトランサミンを加えた持続点滴を開始し、血管を確保するとともに、冷あん法と、子宮底輪状マッサージを実施した。また、尿の貯留予防のため尿カテーテルを開放した。
(六) 同日午後五時ころまでには、血圧は一〇〇~六〇〇ミリメートル/エイチジーと上昇し、その後はおよそ一二〇~八〇ミリメートル/エイチジーで安定した。子宮収縮も良好となり、悪露(出血)の量も徐々に減少し(午後五時・中等量、午後五時五〇分・四〇グラム、午後七時・極小量、午後九時・一五グラム、午後一一時・(一))、腹痛も午後六時ころまでに消失した。血液検査の結果、赤血球三二七万個/立方ミリメートル、白血球二万一九〇〇個/立方ミリメートル、血色素量九・八グラム/デシリットル、ヘマトクリット二八・九パーセントと貧血の進行が認められたが、出血が減少し、一般状態も落ち着いてきたので、このまま経過観察することとし、子宮復古状態、バイタルサイン、一般状態の観察を頻回に行うとともに、子宮収縮を促進させるため、冷あん法と子宮底輪状マッサージを行つた。
2 昭和六二年一月六日(分娩翌日)の状況
同日の血液検査で、赤血球二八五万個/立方ミリメートル、白血球一万五五〇〇個/立方ミリメートル、血色素量七・八グラム/デシリットルと前日に比して貧血が著しく進行していた。その後も悪露の排出は続き(午前六時四〇分・二〇〇グラム、午前七時五〇分・六〇グラム、午前九時三〇分・少量、午後零時・少量、午後三時・三〇グラム)、子宮収縮は不良と判断された。そこで、それに対応する処置として、メテルギン(子宮収縮剤)、ブルタール(鉄化合物製剤)の投与、アドナ、トランサミン(止血剤)の継続点滴、冷あん法及び子宮底輪状マッサージを継続した。
さらに、午後五時二〇分に、二五〇グラムの悪露(出血)があつたので、胎児付属物の遺残を疑い、横田医師の手により、子宮内清掃術を施行したところ、悪露と少量の卵膜が排出された。その後、子宮収縮が良好となり、悪露の排出も少量となつた(なお、午後一一時に七〇グラムの排出があつた。)ので、止血剤の継続点滴の継続とともに、メテルギン(子宮収縮剤)を投与し、経過観察を維持した。
3 同月七日から一一日までの状況
同月七日以降同月一一日までの原告については、血圧も安定し、子宮収縮も良くなつてきていたが、悪露は少量になつてきたものの、なお持続的に排出されており、また、貧血状態は、おおむね横這いの状況(赤血球二二六~二二七万個/立方ミリメートル、白血球一万三六〇〇~一万八二〇〇個/立方ミリメートル、血色素量六・〇~六・五グラム/デシリットル)であつた。
その間、子宮復古と悪露排出促進のため、冷あん法を継続した。同月九日の悪露交換時に臀部がただれ気味であつたので産褥ショーツに交換した。同月一〇日には、分娩当日から挿入されていた導尿のためのカテーテルを抜去した。徐々に安静度も拡大し(七日には床上座位、一〇日には病室内にポータブルトイレを設置しベッド下までの安静度)、一一日には歩行してトイレ、洗面を行うまでになつた。
4 同月一二日の状況
同日午前二時一五分、原告は悪露流血感と後陣痛を訴え、悪露五〇グラムの排出をみた。そこで、冷あん法を実施し、床上安静を指示した。その後、同日午前二時五〇分に一〇〇グラム(ただし、尿の混入あり。)、午前三時三〇分に血液塊の混入した一〇〇グラムの悪露排出があり、午前五時ころからは下腹部痛を訴え、顔色不良を呈した。午前六時過ぎころから、強い後陣痛を訴え、子宮底の固さも不良となつた。さらに、その後午前七時に五〇グラムの悪露が、午前七時五五分には血液塊四二〇グラムがそれぞれ排出された。メテルギン(子宮収縮剤)を投与し、全身状態等を頻回に観察した。血液検査の結果、赤血球一九四万個/立方ミリメートル、白血球二万一四〇〇個/立方ミリメートル、血色素量五・五グラム/デシリットルと貧血状態が悪化していたので、午前一〇時過ぎから、濃厚赤血球とFFP(凍結血漿)の輸血を開始した。しかし、その後も出血が続いたため、胎児付属物の遺残による弛緩出血を疑い、午前一一時に子宮内清掃を行つた。さらに、子宮収縮剤の局注、輸血、止血剤の持続点滴、ヨードホルムガーゼによる挿入圧迫によつても止血効果がなく、同日未明から午後一時までの出血量は合計一五七五グラムとなつたので、もはや、止血困難と判断し、原告の夫に対し、電話等で救命のための手術の必要性を説明して承諾を得た上、午後一時に緊急に子宮全摘手術を行うことに決定し、即時、加藤医師の執刀で手術が実施された。
5 その後の状況
原告は、子宮全摘手術後は順調に回復し、昭和六二年一月三一日に被告病院を退院した。
しかし、子宮全摘手術の前後に行われた輸血(濃厚赤血球約一四三〇シーシー、FFP(凍結血漿)約八四〇シーシー)が原因で非A非B型の輸血後肝炎に罹患し、同年四月末まで被告病院に通院して治療を受けたが、同期間中には肝機能に充分な改善がみられなかつた。
さらに、原告は、輸血後肝炎の治療のため、同年五月一八日から同年七月二九日まで国立呉病院に入院し、平成元年四月一四日から同年一一月二七日まで森本病院(安芸郡倉橋町)に通院し、同月二九日から平成二年一月三一日まで再び国立呉病院に入院した。
現状においては、肝臓の機能は、かなり改善され、格別の治療を受けていないが、定期に血液検査を受けている。
なお、右の輸血当時の医療水準においては、右の程度の輸血を施した場合において、原告の罹患したような輸血後肝炎を事前に防止することは不可能であつた。
6 遺残胎盤の態様及びこれに関する病理所見
(一) 右の手術によつて、摘出された原告の子宮内には、約五センチメートル×七センチメートル(看護記録による。井藤医師の後記所見によると平成二年初め当時においては約三センチメートル×五センチメートルとされている。)の大きさの胎盤様の組織が残置されていた。
この組織の存在が、原告に対する子宮全摘手術の契機となつた子宮からの大量出血の原因である。
(二) 加藤医師は、右子宮全摘手術後の昭和六二年一月一六日、摘出した原告の子宮から切除した九枚の組織切片についての病理組織検査の申込みをした。同医師は、そのために作成した摘出臓器肉眼所見記載用紙に、摘出した子宮の肉眼所見を図示した上、子宮内に残置されている組織を指して「子宮筋層に嵌入 胎盤(?)」と記載した上、検査要望項目として「悪性か否か、胎盤か否か」と指示した。
被告病院の井藤医師(臨床病理科医長)の同月一九日作成の病理検査報告書には、病理組織学的所見として「提出された子宮切除材料においては、その内腔に胎盤組織が見られ、そこでは絨毛は硝子様に変性を呈し、大量の出血を伴つている。子宮内膜においては、内膜は脱落膜変化を示し、大量の出血と浮腫及び好中球の浸潤が見られる。悪性所見はない。」、病理組織学的診断(病理形態、機能、部位、検体種別の順)として「1 新鮮出血を伴う変性胎盤 切除材料 2 脱落膜変化、子宮、切除材(子宮復古不全)」との記載がある。
(三) 平成二年一月一七日、原告の申立てにより、被告病院において、証拠保全手続が実施されたため、被告病院としては、近々本訴が提起されることを予想し、同月二五日、被告病院内に保存されていた原告の子宮から新たに組織切片二八枚を切除し、これに前回切除した九枚の組織切片を合わせた合計三七枚の組織切片について、再度の病理組織検査を実施することとし、これを再び井藤医師(当時は、広島大学医学部病理学教室教授に就任。)に依頼した。
同年七月ころ、同医師によつて作成された病理組織学的検査報告書には、病理組織学的診断として「1 癒着胎盤(Placenta accreta)、局所、子宮、切除 2 壊死脱落膜の遺残」、病理組織学的所見として、「産褥期子宮摘出標本、子宮は、一八×一五センチメートル大で、硬度はやや軟、内腔を開くと、子宮内膜側には凝血塊が付着しており、又、右卵管近傍には三×四センチメートル大の腫瘤様組織が付着している。同部の組織学的検査においては、変性し、一部硝子化ないし線維化した胎盤組織がみられる。これら胎盤組織は筋層と固着し、その間に脱落膜組織の介在はない。絨毛は成熟しており、特異的な変化を示さない。尚、多数切片の検査においても、胎盤組織の筋層内侵入は見い出されない。他の内膜組織では表層部が脱落膜化しており、多核白血球浸潤を伴いつつ一部壊死に陥つている。筋層は産褥期におけるそれとして特記すべき所見はない。以上、大量出血の原因病巣としては、癒着胎盤と見做すのが妥当である。」との記載がある。
(四) 一般的に、産後の出血原因としては、弛緩性出血、胎児付属物(胎盤を含む。)の遺残、産道の損傷等が考えられる。
本件においては、被告病院の担当医師は、子宮収縮が不良であつたことから、出血の原因としては、主として弛緩性出血を疑い、子宮収縮を図るため、従前のとおりの諸処置と止血措置を行い、また、その存在を認識していた卵膜遺残に対しては、子宮内清掃術を実施した。なお、産道の損傷は認められていない。
担当医師としては、前記のような胎盤が子宮内に遺残しているとの疑いを全く持つておらず、このことは、原告の子宮を摘出した後、前記の病理組織学的検査報告を得て初めて判明した。
分娩時に娩出した胎盤については、肉眼では欠損がないことが担当医師及び助産婦によつて確認されていることを前提として、遺残していた胎盤は副胎盤(胎盤組織が複数の葉に分離している胎盤形態の異常のうち、大きな主胎盤の側に分離して付着する小胎盤のことをいう。)であると推定され、このことは、鑑定人・医師吉田吉信(滋賀医科大学名誉教授)及び証人・医師竹内久弥(順天堂大学医学部教授)によつても支持されている。
三 本件の争点
1 被告病院の担当医師は、胎盤の遺残を疑うべきであつたか。疑うべきであつたとして、何時の時点において疑うべきであつたか。
2 胎盤遺残の疑いを抱いたとき、担当医師としては、原告に対して、どのような処置を施すべきであつたか。
3 右の処置として、胎盤の用手剥離を試みるべきであつたとした場合、本件において用手剥離の可能性が肯定できるか。
4 用手的剥離が不能であるとした場合、担当医師としてはどの時点で子宮摘出に踏み切るべきであつたか。
5 右の2ないし4の各場合において、原告に対する輸血は必要であつたか。必要であつたとしても輸血量をより少量に抑えることによつて、輸血後肝炎に罹患することを避けることは可能であつたか。
6 右の各場合において、被告病院の担当医師に過失が肯定できるとして、原告の蒙つた損害額をどう認定すべきか。
四 争点に関する当事者の主張
1 原告
(一) 争点1について
胎盤娩出後間もない時期に判明していた次の(1)~(6)の事情を総合すれば、被告病院の担当医師としては、胎盤娩出後の早い時期において、遅くとも胎盤計測を行つた時点において、子宮内には副胎盤が遺残していることを疑うべきであつたにもかかわらず、これに全く気付かなかつたことに過失があるものというべきである。
(1) 娩出された胎盤の重量(二五〇グラム)が児体重(二三三〇グラム)に比し九分の一以下と余りにも小さすぎること(一応の標準比は六分の一である。)。
(2) 臍帯付着部位が胎盤の辺縁部であること。
(3) 先娩出直後にメテルギン(子宮収縮剤)を静注しているにもかかわらず、胎盤娩出に一五分を要していること(子宮や胎盤に特別の異常のない限り、五、六分以内に娩出されるのが通例である。)。
(4) かなりの卵膜欠損があつたこと。
(5) 産後に伴う原因不明の出血が少なくとも初期において四〇〇ミリリットルと多いこと(メテルギンを静注している場合には、たかだか一〇〇ミリリットル程度の出血に収まるのが通例である。)。
(6) 胎盤の娩出様式がダンカン様式であつたこと。
(二) 争点2について
(1) 被告病院の担当医師としては、右のとおり、胎盤娩出後間もない時期に副胎盤の遺残を疑い、メテルギンの作用により子宮頚管が収縮する以前に、全身麻酔なしで子宮内を用手的に探索することにより、副胎盤の遺残を確認し、即座に用手剥離を試みるべきであつたにもかかわらず、これを怠つた過失がある。
(2) 仮に、担当医師に対して、胎盤娩出後間もない時期において、全身麻酔なしに子宮内を用手的に探索することを期待することができず、メテルギンの作用により子宮が収縮してしまつた後であつても、なお、担当医師としては娩出された胎盤について、肉眼で副胎盤につながる血管の断裂を精査・確認し(肉眼で断裂を発見できないとしても、臍帯からのミルクの注入等による検査を加えることにより、血管の断裂を確認できた。)、あるいは、これらの措置を待つことなく、できるだけ早い時期に、全身麻酔下で子宮内を用手的に探索することによつて副胎盤の遺残を確認するとともに、即座に剥離を試みるべきであつたにもかかわらず、これを怠つた過失がある。
(三) 争点3について
(1) 本件の遺残副胎盤は、統計上も極めて稀な症例である癒着胎盤ではなく、むしろ、単なる「付着胎盤」であつたものと判断される。
したがつて、前記の各段階において、用手的探索により、胎盤の遺残が確認され、用手剥離が試みられていれば即座に剥離することができたものである。
(2) 仮に、本件遺残胎盤が癒着胎盤であつたとしても、その癒着の程度、すなわち、脱落膜の欠落している範囲は、副胎盤全体の面積からすれば部分的なものにとどまつており、しかも、胎盤組織の筋層内侵入は見い出されない種類のものであるから、広義の癒着胎盤の類型の中でも最も子宮壁との結合の程度が弱い「狭義の癒着胎盤」に分類されるものである。
したがつて、これを臨床的に剥離娩出させることは、分娩直後の用手剥離であれば、比較的容易であり、多少剥離に困難な部位があつたとしても、極少量の胎盤組織の遺残を来すものにすぎず、この極少量の胎盤組織は、感染の起こらない限り、長時間を経て器質化され、胎盤ポリープになるものである。
(四) 争点4について
仮に、本件においては、前記のような用手剥離が困難であつたとしても、担当医師としては、早期の段階で、用手的探索を行つて、副胎盤の遺残を確認し、用手剥離が困難であることを確認すべきであり、この確認が行われていれば、前記一月一二日の大出血以前において、できるだけ子宮を温存し、将来の挙児の可能性を残すため、積極的止血の方法として、まず、<1>内腸骨動脈結紮術、<2>内腸骨動脈結紮術及び上下臀動脈結紮術、<3>子宮動脈結紮術を順次行い、それらが何れも効を奏しないと判断されたときにはじめて最後の手段として、<4>子宮摘除術を実施すべきであつた。
(五) 争点5について
(1) 本件遺残胎盤は、前記のとおり付着胎盤であつたのであるから、前記の各段階で用手的剥離が施されていれば、即座に、その剥離が可能であつた。
したがつて、このような措置が施されていれば、その後の本件のような大出血及び子宮全摘手術、これに伴う輸血も避けることができたものであるから、原告が輸血後肝炎に罹患することもなかつたものというべきである。
(2) 仮に、本件遺残胎盤が、癒着胎盤であつたとしても、早期の段階で、全身麻酔なしに用手剥離を施すときは、出血及びこれに対する輸血は必要なかつたものである。
また、その後の段階において、全身麻酔下において用手剥離を施す場合においても、せいぜい五〇〇シーシーの輸血が必要であつたにとどまるものである。
そうすると、本件のような大出血及び子宮全摘手術、これに伴う大量の輸血は避けることができたものであり、したがつて、原告の輸血後肝炎に罹患する可能性は極めて低かつたものというべきである。また、いくらかの輸血が必要であつたとしても、本件とは輸血の時期が異なるので、肝炎に感染していない保存血液が使用された可能性も高いものというべきである。
(3) 本件胎盤遺残の用手的剥離が困難で、前記のとおりの積極的な止血方法が採られた場合においては、遺残する副胎盤は、将来器質化してポリープになる等にまかせることにはなるが、子宮自体は温存され、かつ、前記の大出血以前の処置であるから、本件のような輸血も必要なく、輸血後肝炎になることは避けられたものというべきである。
また、最終的に子宮全摘の措置がやむを得なかつたとしても、右の大出血以前に、子宮全摘に踏み切ることにより、本件のような大量の輸血を避けることができたものであるから、輸血後肝炎への罹患の可能性は低かつたものというべきである。
(六) 争点6について
原告は、被告に対し、被告病院の担当医師の前記各過失に基づく不法行為責任(民法七一五条)又は診療契約の債務不履行責任(不完全履行)を原因として、原告の被つた次の損害のうち、金三〇〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一月一三日(不法行為又は債務不履行の日の翌日)から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(1) 子宮摘出に対する慰謝料 一二〇〇万円
原告は本件子宮喪失により二度と子供を産むことができなくなり、深い精神的苦痛を被つた。
(2) 輸血後肝炎罹患による損害
<1> 休業損害 四五〇万円
原告の本件前一年間の収入は、二八〇万円である。原告は、本件による輸血後肝炎治療のため二年間の休業を余儀なくされたので、これによる損害は、少なくとも右金額を下らない。
<2> 入通院慰謝料 二五〇万円
原告は前記肝炎治療のため、約五ヵ月入院し、その後も三年以上通院して治療している。
<3> 後遺症逸失利益及び慰謝料
次のア、イの合計金のうち八〇〇万円を請求する。
ア 原告は、本件訴訟提起当時、三〇才の主婦であつたが、本件肝炎により、後遺障害別等級表第九級の一一に相当する障害を残したため、その労働能力を三〇パーセント喪失した。したがつて、原告の逸失利益は二〇〇〇万円を下らない。
二七八万五八〇〇円(三〇歳女子の平均年収)×二〇・六二五(新ホフマン係数)×〇・三五=二〇一八万二一八一円
イ 肝炎罹患による慰謝料としては八〇〇万円が相当である。
肝炎罹患は、その症状のみにとどまらず、それが肝硬変、肝臓癌等の重篤な疾病に発展するおそれがあり、原告としては今後その不安に脅える生活を余儀無くされるものであつて、精神的苦痛は計り知れない。
(3) 弁護士費用 三〇〇万円
被告が本件の責任を一切否定する態度をとつたため、原告としては、やむなく本訴を提起するに至つた。
2 被告
争点1ないし5に関する原告の主張は、いずれも否認ないし争う。
(一) 争点1について
(1) 本件の副胎盤が遺残した原因
本件においては、副胎盤がいわゆる癒着胎盤で子宮壁と固着していたため、剥離されずに遺残したものである。主胎盤は、胎児娩出後子宮壁から剥離して子宮収縮に伴つて自然に娩出しており、これについて困難を伴つたことはない。
なお、原告に対するメテルギン(子宮収縮剤)が投与の時期が不適切であつたことから、胎盤の娩出が困難となり、一部胎盤遺残の原因となつたということもない。原告に対するメテルギンの投与の時期は極めて一般的なものである。
(2) 胎盤遺残の予見可能性
副胎盤は、通常は主胎盤と一緒に娩出される。本件のように、胎盤娩出に困難がなく、また、欠損もない場合、原告指摘の(1)ないし(6)の事由があるからといつて、胎盤遺残を疑うべきであるということはできない。
<1> 胎盤重量は、一般的には胎児重量の六分の一といわれているが、個体差があり、そのことから直ちに、胎盤に異常があるとは即断できない。むしろ、本件においては、満期産であるにもかかわらず、胎児の体量が未熟児程度であることから、胎盤の発育不全のため、胎盤の重量が平均値との比較で少なかつたものであることが予想できる。
<2> 臍帯が胎盤の辺縁部に付着しているからといつて、副胎盤の存在可能性が高いとする根拠にはならない。
<3> 胎児娩出後胎盤娩出までの時間が平均よりも長いことや、産後に伴う出血量が平均出血量に比して多いことは、個人差が大きい事柄であり、平均と比較すること自体に意味がない。
<4> 卵膜の欠損・遺残は、卵膜自体の剥離不全によることが通例であり、胎盤の娩出に困難を伴わないときにもよく見られる所見である。卵膜の欠損・遺残があるからといつて、直ちに、胎盤遺残が疑われるものではない。
胎盤が自然娩出して欠損がなく、卵膜の遺残が確認されているときには、子宮収縮不良及び出血の原因としては、卵膜の遺残が考えられるのであるから、さらに、胎盤遺残まで疑う合理的根拠がない。
<5> 胎盤の娩出様式がシュルツェ様式であるか、ダンカン様式であるかは単に剥離した胎盤が子宮口を出る際の形態の差異であつて、臨床においては、胎盤の剥離に問題があることの徴憑となるものではない。
(3) 胎盤血管の断裂の発見可能性
娩出した胎盤について、その表面を走行する血管の断裂を肉眼で発見することは困難である。特に、本件においては、副胎盤の存在を疑うことが要求されるとはいえない状況下であるので、その発見は、更に困難である。
臍帯からミルク等を注入する検査方法を採れば、血管の断裂を確認することは可能であつたとしても、そのような方法は、通常副胎盤の有無の確認のために行われるものではなく、そもそも、本件においては、副胎盤の存在を疑うことが要求されていないのであるから、この検査がなされなかつたからといつて、担当医師に過失はない。
(二) 争点2について
仮に、本件において胎盤遺残を疑うべきであつたとしても、そのことから、直ちに、用手的探索、剥離を試みるべきであるとは解されない。
まず、胎盤娩出後二回目のメテルギン投与以前であれば、子宮の収縮はまだ進行しておらず、用手的探索に全身麻酔は不要であるが、その時点では、担当医師として、原告が胎盤遺残を疑うべきであると主張する前記各事由について認識を得る前であるから、用手的探索を要求することはできない。
次に、胎盤遺残が確認された場合でも、遺残した胎盤が時間の経過とともに子宮壁から剥離し、自然に娩出されることが期待できるのであり、また、遺残した胎盤が将来器質化することも予想されるから、子宮の収縮状態、出血状況等を考慮して厳重な観察下で保存的に対処することは医師の裁量の範囲内における妥当な対応のひとつであつて、必ずしも、全身麻酔下での用手的探索・剥離を試みなければならないものではない。
さらに、子宮の収縮が進んでいる状況下において、用手的探索を試みたとしても、子宮壁か胎盤かを判定することは困難であるから、本件遺残胎盤を確認できるとは限らない。
(三) 争点3について
本件遺残胎盤は単なる付着胎盤ではなく、癒着胎盤であつた。
本件の副胎盤は、組織学的には最も軽症でかつ部分性の癒着胎盤であると判断され、臨床的に最も多く認められる種類の癒着胎盤ではあるが、組織学的な分類としての癒着胎盤であるから、用手的に剥離することは困難であり、強制的に剥離すれば大出血に至ることは明らかである。
仮に、用手剥離を行つて部分的に副胎盤を剥離できたとしても、一部の遺残は避けられず、胎盤片が一部でも遺残すれば早晩必ず出血するのであり、胎盤片を残さないよう強制的に剥離しようとすれば、大出血の危険がある。
したがつて、本件において、仮に、用手剥離を試みたとしても、一部胎盤片が遺残すれば、それについて、子宮の収縮状態及び出血状況等を考慮して厳重な観察下に保存的に対応し、出血が続くならば、結局は、本件と同様、子宮を摘出するしかないのである。そうすると、結果的には、保存的に対応するしかないのであつて、全身麻酔下での用手剥離を行うだけの利益はなかつたものと言うべきである。
(四) 争点4、5について
被告病院の担当医師の行つた処置は、当時の医療水準に則したものであり、何らの注意義務違反はない。
本件において副胎盤の遺残を予見しなかつたことに過失はない。
仮に、副胎盤の遺残が予見可能であり、用手的に探索・剥離が試みられても、癒着胎盤であることから、癒着部分の胎盤片が依然として残り、その胎盤片が遺残した状態で経過観察するほかないのであるから、本件における処置と臨床経過に差異をきたさない。剥離を強行すれば、大出血を招き、直ちに子宮摘出の必要が生じたのであるから、結果的に、癒着胎盤のために子宮を摘出することは避けられなかつたのである。
本件事実経過の下においては、原告主張のような積極的止血方法を要求することは困難であり、原告の輸血後肝炎罹患は、いずれにせよ避けられなかつたものである。
(五) 争点6について
担当医師に過失はないから、被告は、原告に対し損害賠償する義務を負担しない。
第三 当裁判所の判断
一 争点1(胎盤遺残の予見可能性等)について
1 まず、原告が、本件において担当医師が胎盤遺残を疑うべき根拠として指摘する各事由について検討する。
(一) 原告から娩出された胎盤の重量が二五〇グラム(厚さ一・七センチメートル、大きさ一五センチメートル×一四センチメートル)であり、児体重が二三三〇グラムであつたことは前記のとおりである。
一般的に、胎盤の重量は新生児体重とある程度の相関関係があり、前者は後者の約六分の一に相当するとされていることは、標準的な医学書にも指摘されているところであり、この一般論自体は被告においても格別争つておらず、臨床に携わる医師や看護婦においても、おおむね共通の理解であつたものと認められる。もつとも、このことについては、個体差があることも否定できず、また、在胎週数に比較して、出生体重の少ない児については、この相関関係はやや劣るものとされている。
本件においては、児体重が平均を大きく下回つており、胎盤の絶対重量が小さいことを考慮にいれるとしても、胎盤の娩出直後において、現場の助産婦らが、これを一見しただけで小さいと奇異に感じ、前記のように発言していたことからも明らかなように、本件胎盤は、改めて計測する前の段階においても、前記共通の理解からみて、著しく小さいものであることを認識できたことは明らかである。
(二) 臍帯付着部位が胎盤の辺縁部であつたことは前記のとおりである。
《証拠略》によれば、臍帯は胎盤の中心付近に付着(側方付着又は中央付着)しているのが普通であり、辺縁に付着していることは稀である(標準的な医学書には側方付着七五パーセント、中央付着二〇パーセントに対して、辺縁付着は四・五パーセントであるとの記載がある。)。
そして、臍帯が胎盤の辺縁に付着している場合、臍帯のある側になお副胎盤が存在する理論的可能性を想定することができる(鑑定人吉田吉信の鑑定結果。証人竹内久弥も、このような理論的可能性自体は否定しない。もつとも、同証人は臍帯の辺縁付着は、稀な例としてさほど気にとめないといい、臨床的には、これが児体重の少なかつた原因であると解するのが自然であるという。これに対して、証人吉田吉信は臍帯の位置によつて児体重に影響があることはないという。)。
(三) 本件においては、子宮収縮剤(人の平滑筋を選択的に収縮し、出血量を減少させ、胎盤娩出期を短縮させる薬理薬効がある注射液である。)であるメテルギン(一回目)を児娩出の一月五日午後零時二七分ころに静注したところ、午後零時四二分に胎盤が娩出し、この間一五分を要したものである。
ところで、個人差に基づく長短はあるにしても、通常の場合は、児娩出後、七、八分以内に、胎盤剥離兆候が出現し、その後胎盤娩出へと進むものであり、正常経過では、児娩出後胎盤娩出までおおむね約一五分から二〇分を要するものとされている。そして、メテルギンの投与によつて、この時間は平均五分程度にまで短縮されるのが通常であるとされている。
そうすると、胎盤娩出に一五分を要したという本件は、メテルギンが投与されたことを考慮にいれると、相当に長時間を要したケースということになる。
(四) 本件において、胎盤娩出時に卵膜の欠損が認められたことから、子宮内に卵膜が遺残していたことは、前記のとおりである。
その遺残量は、カルテに「かなり」と記載されているだけであつて、担当医師としてもはつきり把握しておらず、不明であるが(ただし、「かなり」という記載からすれば、微量ではなく相当量が遺残していたものと推認できる。)、その後、実際に胎盤鉗子によつて、いくらかが取り出されている。
胎盤が遺残していなくても、卵膜自体の剥離不全のため、卵膜が子宮内に遺残することは臨床上よく見られる現象であるが、卵膜自体に剥離不全がなくても、胎盤が遺残していれば、その付近の卵膜が破れて、遺残することになることもその形態上明らかといえる。
(五) 本件においては、胎盤娩出までの総出血量が四〇〇シーシーであり、その後、一月五日午後一時五〇分ころまでにガーゼに吸収された出血量は一四〇グラム、二時四〇分ころ胎盤鉗子で排出された悪露(血塊)が八三〇グラムであつたこと、この間、胎盤娩出直後及び会陰側切開部を縫合する前の時点の二回にわたりメテルギンを静注していることは前記のとおりである。
通常、胎盤娩出後、胎盤娩出までの出血量は二〇〇~四〇〇シーシー程度であると標準的な医学書には記載されており、メテルギンを投与すれば、この出血量はこれよりも相当程度少なくなるのが通例であるとされている(〔社団法人日本母性保護医協会が発行した「分娩時出血」と題するパンフレット〕によると、メテルギン投与により平均出血量は一三〇シーシー程度に抑えることができるとある。《証拠略》もメテルギンを使用していれば、たかだか一〇〇シーシーにおさまるという。)。
これらとの対比でみれば、本件における胎盤娩出までの四〇〇シーシーという出血量が、通常の分娩時に比して多量と評価されるケースに入ることは明らかであり(証人竹内久弥もこのこと自体は肯定している。)、その後の二時間までの前記の出血量は、胎盤が正常に娩出したことを前提とすれば、むしろ異例に属するものといえる。
(六) 本件における胎盤の娩出方式がダンカン様式であつたことは前記のとおりである。
胎盤剥離の様式としては、ダンカン様式、シュルツェ様式及び混合様式に区別されている。
ダンカン様式は、胎盤が母体面から娩出される様式(全体の五~一〇パーセントがこの様式とされる。)であり、これに対して、シュルツェ様式は胎児面から娩出される様式(七〇~八〇パーセント)であり、その混合型は二〇~二五パーセントであるとされている。
しかし、この区分は、分娩介助者の手技などにより半ば決定されるもので、臨床的意義に乏しいものとされており、したがつて、本件がダンカン様式であつたこと自体を異常ということはできない。もつとも、結果的にみれば、本件においては、主胎盤の娩出に当たり、遺残した副胎盤や卵膜が主胎盤の娩出を妨げる方向に働いたことが、ダンカン様式による娩出につながつたものということができよう。
(七) なお、本件においては、娩出された胎盤自体には欠損がなかつたものとされているから、子宮内に遺残していた胎盤は副胎盤であつたと推定されていることは前記のとおりである(胎盤の遺残は、後刻の大出血の原因となる危険性が極めて大きいことから、胎盤の欠損の有無、特に辺縁部に注意し、血管の断裂の有無を検査することが強く要求されている。本件担当の加藤医師は、胎盤を検査したが、欠損を認めることができなかつたことから、胎盤の遺残を全く疑うことはなく、その結果として、血管の断裂についても特に注意して検索しておらず、その発見をすることもなかつた。)。したがつて、本件の場合においては、主胎盤を娩出することにより、副胎盤と結合していた血管組織が断裂していたはずであるが、このような状況下で、この血管の断裂を発見することは臨床的に相当困難なものとされている。
もつとも、このような場合においても、副胎盤の存在を疑い、臍管からミルク等を注入する方法を採れば、血管の断裂を確かめることができ、ひいては、胎盤遺残を確認することが可能であつた(《証拠略》もこの方法の有効性自体は肯定する。)。
2 以上のような事実関係のもとにおいて、鑑定人吉田吉信は、その鑑定結果及びこれを補足する証言(第一、二回)において、(1)原告から娩出された胎盤の重量が二五〇グラムで児体重二三三〇グラムに比し、著しく小さいものであつたこと、(2)臍帯の付着部位が娩出胎盤の辺縁部であつたこと、(3)メテルギンを使用していることを考慮に入れると、児娩出後胎盤娩出まで一五分と相当長時間を要していること、(4)相当部分の卵膜欠損があつたこと、(5)メテルギンの投与にもかかわらず、胎盤娩出までの総出血量が四〇〇シーシーと通常に比較して多量であるのみならず、その後の二時間において更に合計九七〇グラムの出血をみていること等を根拠として(なお、同鑑定人は、本件の胎盤娩出の様式がダンカン様式であつたことも、胎盤遺残を疑うべき一根拠としているが、右の娩出様式自体は何ら異常を示すものでなく、臨床的意義に乏しいものであるとされていることからすれば、右の事由には、結果的に胎盤遺残の機序を説明する以上の意義を付与すべきものではない。また、同鑑定人が指摘する、臍管からミルクを注入することによつて血管の断裂を確認できたとの点は、当時の臨床水準からみて、過当な要求というべきである。)、本件において、被告病院の担当医師としては、胎盤遺残(娩出胎盤に欠損が見当たらなかつたのであれば、副胎盤又は分葉胎盤の存在)を疑うべきであつたとし、その存在を予見することができたと結論している。
これに対し、証人竹内久弥は意見書及びこれを補足する証書において、右事由から胎盤遺残を疑うことは困難であつたとの意見を述べている。
そこで、検討するに、確かに、出産の経過には個体差の占める要因が大きく、通常の経過と異なる事情が認められるからといつて、それを過大に評価することは避けなければならないが、吉田鑑定人の指摘する前記の諸事情は、それ自体ではいずれも異常の範疇に含まれるまでのものではなかつたとしても、通常の出産経過からみれば、それぞれ特異な症状として注目すべきものであつたというべきであり、さらに、これらが、単発にではなく、重なり合い累積して生じていたという事実関係のもとにおいては、担当医師としては胎盤遺残(副胎盤又は分葉胎盤の存在)を疑うべきであつたとし、その存在を予見することもできたとする吉田鑑定人の意見は十分首肯するに足りるものというべきである。
被告は、本件の出血量が多いことの原因を単純な子宮収縮不良による弛緩性出血や、卵膜遺残に求め、胎盤遺残を疑うことは不可能であつたと主張するが、それは娩出胎盤には欠損がなく、したがつて胎盤遺残はありえないという前提に基づくものであつて、本件の事実関係のもとにおいては、原因をそれらのみに限定し、他の原因を完全に排斥できるものではなく、胎盤遺残をも念頭に置くことが必要であつたといわざるを得ない(《証拠略》も、一般論としては他の原因可能性を否定しない。)。
なお、竹内証人も産婦人科の専門医であり、その意見は尊重に値するものではあるが、本件における意見内容は、前記の個々の事情を個別的に検討して、いずれもそれ自体では副胎盤の存在を疑う事由にはならないと述べているものであつて(なお、同証人も各事由のいくつかについて、通常の経過からはずれた症状を呈していたことを否定していないことは前記したとおりであるし、同証人自身が担当医であつたら副胎盤の存在を疑わなかつたというわけではないというニュアンスも窺われる。)、これらを総合した見地からする前記の吉田鑑定人の意見の合理性を左右するまでには至らない。
以上の次第で、医師に対しては、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を尽くすことが要求されるという一般的見地に立ち、当裁判所としては、吉田鑑定人の鑑定結果を採用し、被告病院の担当医師としては、前記した本件事実関係のもとにおいて、胎盤の遺残(具体的には副胎盤の存在)を疑うべきであつたし、それを予見することもできたと判断するのを相当と考える。
3 右のように判断した場合、何時の時点において、胎盤遺残を疑うべきであつたかが問題となるが、前記事実経過に照らせば、遅くとも、一月五日の午後二時四〇分ころに、原告が気分不良を訴え、血圧、心拍数の異常を認めた担当医師の手により悪露(血塊)八三〇グラムが排出された時点においては、吉田鑑定人の指摘する前記諸事情が全て認識できたものであるから、担当医師としては、前記疑問を懐くべきであり、かつ、その予見が可能であつたものというべきである。
吉田鑑定人は、胎盤娩出後の第二回メテルギン投与の前の時点において、右の認識が可能であつたともいうが(第二回証言)、右の時点においては、同鑑定人の指摘する事由のうち、胎盤娩出後二時間経過時における大量出血の事実が未だ発覚していないことが明らかであり、右事実を除いても右認識が可能であつたか否かについては、十分な説明がされているとはいえないから、右の時点において既に認識が可能であつたとまで認めることはできない。
二 争点2(右の場合において、医師として施すべき処置)について
次に、担当医師が、胎盤の遺残を疑つたときになすべき処置について検討する。
1 胎盤遺残が存在するときは、医師としては、これを用手的に探索し、その剥離を試みるべきことが多くの標準的な医学書等に指摘されており(杉山陽一「小産科書」、島田信宏編「スタンダード産婦人科学」、小林隆外編「現代産科婦人科学大系」17C、16B、南山堂「医学大辞典」、坂元正一外編「難産」図説臨床産婦人科講座二〇巻、朝倉書店「カラー図説医学大辞典」、日本母性保護医協会「分娩時出血」研修ノートNo.9、坂元正一編集主幹「分娩時出血の管理」、磯崎太一外「胎盤遺残の取り扱い方」)、これが一般的な医療措置であつたものと認められる。
2 本件のように、胎盤遺残の確定診断のされる以前の段階において、どのように処置すべきかについては、右の標準的な医学書等には明確な記載がないが、前記のとおり、当時の具体的事実関係のもとにおいて、胎盤遺残を疑うべき相当の理由があるとされるものである以上、本件においても、右の場合に準じて、用手的探索を実施し、その剥離を試みるべきものといわなければならない。このことは、《証拠略》に照らし明らかであり、証人竹内久弥も一般的な処置としては用手的探索をして、胎盤の遺残を確認するしかなかつたことを認めている。
3 右のとおり、担当医師として、胎盤の遺残を疑い、原告の子宮内を用手的に探索し、その剥離を試みるべきものとしても、その時期は、一月五日の午後二時四〇分ころの八三〇グラムの血塊排出後の時点以降であることは、前記したとおりである。そして、その後の原告の全身状態の経緯との関係において、右時点から数時間以内に、原告に対して、右処置を施すのが相当であつたものと認められる。
なお、右のような用手的探索・剥離は、主胎盤娩出直後であれば、全身麻酔の措置なしに可能であるが、右認定の時点においては、既にメテルギンを二回投与した後であるから、新たに全身麻酔を施した上でこれを行う必要があつたものである。
三 争点3(用手的剥離の可能性)について
1 原告は、本件遺残副胎盤は、癒着胎盤ではなく、用手的剥離によつて容易に剥離可能な「付着胎盤」であつたと主張する。
しかしながら、前記に認定したとおり、井藤医師が平成二年になつてから実施した病理組織検査の結果によれば、本件遺残胎盤は、付着胎盤ではなく、癒着胎盤であると判定されており、これを否定すべき証拠はないから、原告の右主張を採用することはできない(原告は、井藤医師のした右病理組織検査の対象となつた組織標本が、原告の摘出子宮であることに疑問を呈しているが、《証拠略》に照らせば、原告からの摘出子宮が右の病理組織検査の対象とされたことを否定することはできないものというべきである。)。
2 証拠として提出されている標準的な医学書によれば、一般的に、癒着胎盤というものは、病理組織学的には、(一) 癒着胎盤(Placenta accreta 脱落膜組織の形成不全ないし欠如によつて、胎盤の絨毛が子宮筋層に軽度に癒着したもの、以下「狭義の癒着胎盤」という。)、(二) 嵌入胎盤(Placenta increta 胎盤絨毛が子宮筋層内に侵入しているもの)、(三) 穿通胎盤(Placenta percreta 胎盤絨毛が子宮筋層内を貫通し、奨膜面にまで及んでいるもの)に分類されるが、他方、臨床的には、<1>用手的に容易に剥離できるもの、<2>用手的に剥離できるが、困難を伴い、剥離の際かなりの出血を認めるもの、<3>用手的に剥離不能、癒着部位をたとえ用手的に剥離したとしても必ず胎盤片が残り、出血を多量に認め、子宮摘出が必要なもの、とに分類されている。
この臨床的分類における癒着胎盤とは、文字通り、臨床的観点からみて、自然のままでは剥離娩出に至らない胎盤全体を指しているものと解されるから、病理組織学的な観点から分類される前記の広義の癒着胎盤の範囲と一致するものではなく、むしろ、これに加えて、脱落膜組織に欠損のない単なる付着胎盤でたまたま自然娩出されないものをも包含するものと考えられる。
ところで、前記各標準的な医学書等によれば、「癒着胎盤」であつても、まず、用手的に剥離を試みるべきであるとの見解が一般的であることが認められる。そうすると、右医学書等における「癒着胎盤」とは臨床的な意味におけるそれを指すものと解される。剥離を試みる段階では、それが、単なる付着胎盤であるのか、病理組織学的な意味における癒着胎盤であるのか、右の意味における癒着胎盤としても、癒着の程度は、前記(一)ないし(三)のどの程度であるのかは判定できないからである。そして、病理組織学的な意味における癒着胎盤の(一)ないし(三)と臨床的な意味におけるそれの<1>ないし<3>の対応関係は明らかではないが、少なくとも、前記の定義の対比からみて、「狭義の癒着胎盤」は、臨床的な意味における癒着胎盤のうち<1>、癒着の程度によつては<2>に対応するものであることを否定することはできないものというべきである(病理組織学的分類における癒着胎盤であるか否かは、摘出された子宮の病理検査の結果初めて明らかになるものであり、子宮摘出手術をしなければ、その検査はなしえない。結果的に、用手剥離の方法で胎盤が剥離できた場合、あるいは完全には剥離できないまでも、とにかく止血ができ、子宮が温存された場合には、右の意味における病理組織学的な検査はされないのであるから、子宮内の遺残胎盤が病理組織学的にみて、どの様な胎盤であるものかは常に不明である。したがつて、少なくとも、病理組織学的に検査をしたとすれば「狭義の癒着胎盤」に分類されるべき胎盤が右のような経緯を辿つて用手剥離等の対象となる理論的可能性を否定することはできない。)。
3 本件の胎盤の病理組織学的検査の経過は、前記のとおりである。
(一) これによれば、当初にされた病理組織検査(昭和六二年一月一九日付)においては、加藤医師の指定した検査要望項目に対応して、当該子宮内残置組織が胎盤組織であり、悪性所見はなかつた旨の記載がされているにとどまり、右胎盤が病理組織学的に癒着胎盤であるか否かについては何らの記載がない(本件のような経緯を辿つて子宮摘出に至つた事案において、その原因である遺残胎盤がいかなるものであつたのか、当時全く病理組織学的な究明がなされていないことは奇異というほかないが、このことは事実である。)。
しかし、当時、病理組織検査の対象となつた九枚の組織切片に関する限りにおいては、胎盤組織に脱落膜の欠損が認められず、本件胎盤が癒着胎盤であるとの判断はなされなかつた。したがつて、本件胎盤の状態についての加藤医師の前記肉眼所見(「子宮筋層に嵌入」)をそのまま採用することはできない。
(二) その後、前記の経緯で平成二年になつて改めて実施された病理組織学的検査報告書の記載は前記のとおりである。
これによると、本件の遺残胎盤(副胎盤)は、前記の病理学的分類によれば、2(一)の「狭義の癒着胎盤」に該当し、かつ、癒着の面は全面的ではなく部分的であつたということができる(昭和六二年一月の手術直後の検査で切除された切片からの組織標本の内一枚〔第八切片、ただし、別の第八切片からの標本には脱落膜組織の存在が認められる。〕及び平成二年に追加して切除された組織標本のうち少なくとも六枚(第一〇、一四、一八、二六、二九、三二切片)の標本においては胎盤組織が筋層と固着し、脱落膜組織の介在がないことが認められた。しかし、その他の部分については、おおむね脱落膜が介在していた。また、脱落膜組織の介在のない部分においても、胎盤絨毛が子宮筋層に侵入するには至つていなかつた。)。
鑑定人吉田吉信は、前記認定した程度の大きさがあり、かつ、右の程度の部分的、限局的な「狭義の癒着胎盤」に該当する本件胎盤は、専門医のする慎重な用手的探索によつて、その存在を認識することは十分可能である。そして、これを用手的に剥離して取り出すことも比較的容易であり、多少剥離に困難な部位があつたとしても、ごく少量の胎盤組織の遺残を来すにすぎないとの意見を述べる。
この意見は、前記の標準的医学書の記述とも符合するものであり、またそれ自体においても、合理性を有し、首肯するに足りるものと判断するのが相当である。
これに反し、病理組織学的にみて、いやしくも癒着胎盤であれば、用手的剥離を試みる余地はなく、その程度部分を問わず、常に剥離不可能(あるいは殆ど剥離不可能)であるとの趣旨をいう証人竹内久弥の意見は、右の説示に照らし採用することはできない。
四 争点5(輸血の必要性等)について
1 本件においては、前記の経過で、原告に対し、子宮摘手術を施したことに伴い、その前後に合計約二二七〇シーシーの輸血を行つたことにより原告を非A非B型の輸血後肝炎に罹患させたことは前記のとおりである。
2 ところで、前記認定のとおりであるとすると、本件においては、担当医師が原告に対して用手的にその子宮内を探索し、遺残胎盤を用手的に剥離する処置をすべきものとされるのは、二回目のメテルギン投与後の前記のしかるべき時点において、原告に対し、全身麻酔を実施した上でのことということになる。
そして、右のように、全身麻酔を実施した上で、遺残胎盤の用手的探索・剥離を試みるに際しては、用手的な操作をすることによつて相当量の出血の可能性があり、また、その過程で原告がショックに陥ることに対しても充分な備えが必要であつたといえるのであるから、原告に対して、相当量の輸血をすることは、避けることができなかつたということができる。
さらに、その際予定されるべき輸血の量については、本件において現実にされた量を上回ることはないとの予想はつくにしても、それを下回るどの程度の量におさまるかを推認するに足りる的確な証拠は見当たらない(《証拠略》によると、五〇〇シーシーの輸血を予定すべきであるというが、これは胎盤娩出直後の全身麻酔なしに用手的探索・剥離を試みる際の必要量としての発言であるから、これを基礎として輸血量を想定することもできない。)。
五 争点6(損害)について
1 以上のとおりであるとすると、原告に対して、用手的探索・剥離の処置を実施していれば、子宮内に遺残していた副胎盤は比較的容易に剥離し取り出すことは可能であつたか、多少剥離に困難な部位があつたとしても、極少量の胎盤組織の遺残を来すにすぎなかつたものということができる。
しかし、その実施時期が前記のとおりとなる関係上、そのためには全身麻酔を施すことが必要であるため、これに伴い、相当量の輸血を行うことは避けることができず、結局、原告が本件と同程度の輸血後肝炎に罹患することはいずれにせよ避けられなかつたものと認めるのが相当である。
そして、《証拠略》によると、右のとおりに用手的措置が実施された結果として、原告の子宮が温存できたとしても、その経緯からすると、完全な機能を有する子宮として温存できたとまでは認めることはできず、将来において、不妊や子宮腔内癒着を生ずる可能性、胎盤ポリープの形成、次回妊娠時の早産、胎盤剥離障害、胎盤遺残による大出血等さまざまな妊娠・分娩異常を来す可能性が大きい不完全な子宮として温存できたにすぎないものと認められる。
2 以上の認定事実に基づいて、原告の被つた損害について検討する。
(一) 原告主張の損害のうち、輸血後肝炎罹患による損害(休業損害、入通院慰藉料、後遺症逸失利益及び慰藉料)は、担当医師の過失との因果関係を欠くものというべきであるから、すべて認めることができない。
(二) 子宮摘出に対する慰藉料
原告の主張する子宮摘出に対する慰謝料は、健康な子宮が温存できたはずであることを前提としているものであるから、これを全部認めることはできない。
本件においては、前記の事実関係に照らし、用手剥離を試みるという適切な医療処置を受けなかつたために、完全な機能を有しないまでも、とにかく、前記認定程度の不完全ではあるものの子宮を温存できる機会を奪われたことに対する慰藉料が認められるべきである。
そして、前記の諸事情を総合すれば、この意味における慰藉料としては、三〇〇万円が相当であると判断する。
(三) 本件訴訟遂行に伴う弁護士費用としては、本件の事案の性質及び認容額等に照らし、三〇万円をもつて相当と判断する。
3 よつて、被告は原告に対し、民法七一五条に基づく損害賠償として、右損害金を支払うべき義務がある。
六 以上の次第で、原告の本訴請求は、前記損害合計金三三〇万円及び本件不法行為の後である昭和六二年一月一三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるので、これを認容し、その余の部分は、理由がないので、棄却することとする。
(裁判長裁判官 田中壮太 裁判官 稲葉重子 裁判官 野島秀夫)